千住競馬場(東京都)
1906(明39)年〜1906(明39)年

江戸から日光街道を利用する際に通過する荒川区千住
日光東照宮の造営にともない
日光参拝・参勤交代の大名達の行き来も激しくなり 
街道の宿場町としての発展をとげてきた


むかし千住の南部が千住仲組と呼ばれていたころ
千住仲組の緑町では
荒川の土手に広がる田園地帯に設けられた競走場では草競馬が楽しまれていた


1906(明39)年:日本人による初の
馬券付き競馬が東京大森の池上競馬場にて開催された
この洋式競馬での
馬券の人気は大変なもので
「札売場」の雑踏と興奮の状況はたちまち全国に伝わった

ただ、この
馬券発売
実は政府部内できちんとした議論が行われないまま「
黙許」の形で始まったもので
新聞が報じた「競馬は賭博にあらず」という「司法局の回示」も
正式に通達されたものではなかった


同年:
千住の競馬場でも、さっそく馬券付き競馬を開催した
いわゆる
ヤミ競馬である


千住競馬場にて馬券付き競馬が開催された直後
千住警察署長が「馬券は賭博に当たる」とし発売禁止を命令
千住署長の専断でレース半ばにて
中断させた



馬券に熱中するあまり身を滅ぼす人が各地で続出し批判も高まりはじめ
政府・議会・行政の各方面での論争にまで発展し
1908(明41)年:ついに国内の競馬場での
馬券の全面発売禁止という事態にまで至った



東京府千住仲組